新垣(あらがき)家住宅
所在地 沖縄県那覇市壺屋1丁目
指定物件 主屋、作業場、離れ、登り窯(東ヌ窯),土地
建設年代 江戸末期
特徴等 沖縄陶業の拠点であった壺屋地区に唯一残る陶工の住宅で、施設のほぼ全容を残す
所有形態 私有
概要
新垣家住宅は、那覇市国際通り南東方に広がる壺屋地区に唯一残る陶工の住宅であり、石塀をめぐらした大規模な屋敷を構えている。1682年、沖縄本島内の三つの窯場(湧田・知花・宝口)が、琉球王の政策で牧志村に統合され、現在の焼物生産地壺屋が始まる。新垣家は、その頃読谷村から壺屋に移住し、以来焼物生産に従事した陶工の家系といわれている。代々ペーチン(=親雲上)という琉球王時代からの称号を有し、壺屋での焼き物の中心的役割を果たしてきたと考えられる。
主屋はウフヤ(母屋)とその西に一間南にずれて接続するトゥングワ(台所)からなる赤瓦葺である。作業棟は作陶の作業場で、離れももと作業場であった。登り窯は粘土造りで、九房の焼成室を連ねる。主屋を中心に、作業場、離れ、登り窯をはじめ、施設のほぼ全容を残し、沖縄の民家及び壺屋の歴史を知る上で、欠くことのできない重要なものである。
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