文化財活用と伝・豊臣秀長の鎧|大分県日田市 草野家住宅【コラム】
- 全国重文民家の集い

- 1月18日
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更新日:5 日前
我が家である大分県日田市の草野家住宅では指定以前にお雛祭りの公開で一時期地域に大きな賑わいを作ることができ、文化財指定より活用が先、という通常とは逆の段取りを踏んできた。しかし、公開20年を過ぎた頃からさすがに入場者の減少が目立つようになり、現在では公開すれば人件費で赤字になるような始末である。
そんな苦しい台所事情を知ってか知らずか今年の大河ドラマは「豊臣兄弟!」で、これまで影の存在だった弟の豊臣秀長にスポットを当てるとのことだ。そこで今注目されつつあるのが我が家に伝わる「伝・豊臣秀長の鎧」である。昨年からNHKも関心を示しディレクターが実地調査のため来訪された。また、昨夏以降いくつもの出版社から鎧の画像提供依頼が舞い込み、令和8年1月現在10冊に及ぶ画像掲載のいわゆる秀長本が書店の店頭に置かれている。
この鎧についてはいつから我が家にあるものかは不明であるが、明治期の曾祖父が身につけた写真が残っているので近年になって手に入れたようなものではなさそうである。我が家のご先祖様は小早川隆景の讒言により秀吉に謀殺された、と久留米市史に記載があるので接点はあったようだが私が相続した頃は由来も不明になっていた。
さすがに古くなっており傷みもすすみ、展示には耐えられなくなって蔵の隅に放置されていたが、いくつものご縁が重なって甲冑師の家系の江戸明珍家25世明珍宗恭氏と市井の甲冑研究家石田謙司氏(いずれも故人)が我が家を訪れこの鎧を見学された。当初は安土桃山時代の当世具足で背中の桐紋から豊臣の関係かも、という程度の話であった。見学後しばらくしてお二人から修理をしませんか、との申し出が来た。かなりの費用がかかるので迷ったが明珍氏は国宝の鎧などの修理をした方と聞いたので思い切ってお願いすることにした。
修理に入って数ヶ月、明珍氏から電話が入り「兜の内張の鹿革を剥がしたところお札が貼ってあり、そこには「勝軍治要法御守秀長加護 天正十五年」と記されていた。鎧の状況から豊臣秀長の鎧かもしれない。そうだとすれば大変なことだ」という話であった。その後石田氏を中心にいろいろな調査をしていただいたり、草野文書の調査で知り合いとなった東大史料編纂所の先生も真贋は別として秀長の鎧が九州にあって何ら不思議はない、とのことだが確定的なものは残念ながら出てきていない。しかしお札は京都吉田神社の発行で織田信長も同様のお札をもらっている。また明珍氏に寄れば鎧の製作形式は奈良の春田派ということで、秀長は大和大納言であり奈良は所領地。さらに天正十五年は秀吉の九州征伐の先発隊大将として大分県を秀長は通過している、等々状況証拠的にはいくつもあげられる。
明珍氏の修理後はNHKの「歴史はそのとき動いた」に出演したり、日本経済新聞文化欄甲冑の美十選の第1に掲載されたりはしたが、大きな話題になることもなかった。
豊臣秀長が主人公になる時代劇はかつて無かったと思われ、今回の大河ドラマが初めてではないかと思われる。本にもずいぶんと掲載されたのでせっかくの機会、文化財活用の一つになれば、と思案のこの頃である。
